「否定的なもののもとへの滞留」第1章 カントからヘーゲルへ

超越論的対象に関するカントの曖昧さ
超越論主体に関する曖昧さの裏返し
必然的両義性

ヘーゲル: 言語による知性を直観から分かつ裂け目の解消不可能性を堅持::徹底してカント主義者にとどまる

カント批判:超越論的カテゴリーは、叡知的なものから生じる触発を「対象的な現実性」へと成形する≪問題は触発の徹底的な有限性にある。⇒ 触発の有限的な性質にではなく、思考それ自身の抽象的な性格に……

≫ 触発を必要としていること、そのことがわれわれの思考が抽象的-形式的であることの証拠

超越論的対象はその機能をラディカルに変える

ヘーゲルの「絶対的観念論」≒極限の帰結までもたらされたカント的な「批判主義」

概念と現実性のあいだの緊張のすべて
概念外的経験において出会う還元不可能な<他者>として現れるものへの関わりのすべては、
すでに概念内的緊張であり、
「他性」という最低限の概念的規定を含意していると認めることによって
カントの批判主義の極限を持ち出す。

主体はどうやって<モノ>自体にたどり着くのか
純粋な前提の探求こそが、positednessであるようなentitiyを生産する。

賭け
真理性をテストするための尺度そのものがつねにテストされ続ける過程のなかにある
有限で歴史的な主体には<モノ>それ自体への接触を保証するどんな尺度も永遠に欠けたままである

主体
現象を限界づける純粋に否定的な身振り::その限界の彼方にいかなるpositive実定的な内容を与えることはないもの

対象の主体化は決しておわらない。
小さなaの可能な定義::主体化に抵抗する<実体>の剰余、「骨」
小さなaは、主体との根底的な通約不可能性においてこそ、主体の相関項

aは空の形式としての主体の「詰物ー内容」