否定なもののもとへの滞留 1章 「トータルリコール」―における知

「自分がレプリカントであると知っている主体」
「主体の非実体的な地位」の行き着くところを指示する

私はレプリカント以外のなにものでもない……とき、
私が実際にそうであるもののすべてが人工物であるときに
「それが私だ」といえる言表の内容のすべては「私」ではない
残余の空虚……空の隔たりである。

(レプリカントとしての私は)、言表の内容のレヴェルにおいて、私のレプリカントの地位を引き受ける……ときにかぎり……私は真に人間的主体となる..

主体はノスタルジーによって定義される。主体とは喪失の主体である。

主体が出現するのは、個人が伝統のネットワークのなかでのその支えを失った、まさにそのとき……。象徴的記憶の枠組が宙吊りにされた後に取り残された空虚と一致する。

(ラカンの現実的なものの可能な定義)
「現実」はいつも幻想によって枠付けられている
現実的な何かが「現実」として経験されるためには、幻想の空間のあらかじめ決められた座標系に適合していなければならない)
ie., 「転倒」
ex.「コンピュータは考え(ない)」人間自身を「自然ロボット」と定義する。
ex. 自慰に対して、セクシュアリティ 本来の(実際のパートナーとの)性行為、……を、現実のパートナーによる自慰
現実的なものは、この転倒に抵抗する残余を指す。
モデル化、隠喩化、シミュレーションに抵抗するある剰余